【概要】
東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発された形式である。
名神・東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあったトラック輸送に対抗するため、国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に貨物列車の高速化を計画した。最高速度 100 km/h での走行可能なコキ10000系コンテナ車・レサ10000系冷蔵車と並行して、専用の新型機関車の開発が開始された。
当初は動軸数8軸の「H級」とする構想もあったが、大出力電動機の実用化に見込みがついたことから動軸数6軸の「F級」として開発が進められ、1966年(昭和41年)9月に試作機が川崎車輛(現・川崎重工業)で完成した。これがEF90形である。定格出力 3,900kW は狭軌鉄道では当時世界最大のものであった。
同年11月より、先に運用を開始していたレサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引で運用を開始し、運用結果を基に1968年(昭和43年)から量産機の製作が開始された。これがEF66形である。
本形式の量産開始に伴い、これまで暫定的にEF65形(500番台F形)の重連牽引としてきた「とびうお」などの高速貨物列車は本形式1両での牽引に切り替えられ、以後、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車を主として使用されてきた。1985年(昭和60年)3月からは寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになった。
1987年の国鉄分割民営化では西日本旅客鉄道(JR西日本)とJR貨物に承継された。1989年(平成元年)には、JR貨物によって一部設計変更の上で新規製作が行われた。これはコンテナ貨物輸送の好調を受け、列車増発に対応するもので、当時並行して開発に着手した新型機関車の投入までに輸送状況の逼迫を賄う時間的猶予がなかったための過渡的な措置である。以降、コンテナ車を主とする貨物列車に重用されている。
JR西日本所属車は引き続き東海道・山陽本線区間の寝台特急に運用され、2009年3月に同区間の客車寝台特急全廃を以って定期運用を終了している。
【100番台】
JR移行後の貨物列車増発に対応するため製作された区分で、1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて川崎重工業で33両が製作された。性能や基本的な構造は0番台の最終増備車を踏襲したが、各部の仕様を変更している。
外観は大きく変更され、前面は正面窓を大型化し、上面が大きく傾斜した3面構成の意匠に変更され、灯火類は正面中位に前照灯・標識灯を横方向に配置する。正面窓にはウィンドウォッシャーが装備された。乗務員室に冷房装置が搭載された。外部塗色は車体上部が濃淡ブルーの組み合わせ、下部がライトグレー、乗務員室扉はカラシ色(黄土色)のJR貨物標準色である。
電動機・制御機器は新たな規制への対応や機器類の有害物質排除など細部に変更が見られる。電動機では、整流改善対策として基本番台2次形(21号機以降)からコンバインドシャント抵抗器が用いられていたが、誘導コイルの見直しなどにより整流改善がなされたため、撤去されている。機器類では従来用いられていた補助リレーの製造中止により代替品に変更、セレン整流器がダイオード化、アスベストの排除が行われるなど、時代に合わせた設計変更がされている。台車は、空気ばねの形状をダイヤフラム式に変更したFD133C・FD134Bを使用する。
制動面では基本番台に改造で取り付けられたコキ50000形250000番台コンテナ車による100km/h運転対応の減圧促進装置が当初から設けられている。また電磁ブレーキ指令装置は、編成増圧機能が省略され、単機増圧方式となり、従来の空気差圧感知式の電空帰還器から、ED79形電気機関車(50番台)同様のカム接点付きのブレーキ弁に変更されている。空気圧縮機は空気管などのドレンによる腐食を防止するため、除湿装置が追加されている。
集電装置はPS22B下枠交差形パンタグラフを当初から装備する。連結器は、10000系貨車を牽引する機会がほとんどないことから、基本番台の密着式自動連結器から一般的な並形自動連結器に変更され、スカートの1位と4位にはMRPが設置されている。
仕様の差異により1次車と2次車に区分される
1次車
1989年(平成元年)に8両(101 - 108号機)が製作された。前面の灯火類は丸型のものを設置する。
2次車
1990年(平成2年)から1991年(平成3年)に25両(109 - 133号機)が製作された。単位スイッチ・高速遮断器の非アスベスト化、抵抗バーニア・界磁制御機器類の仕様の変更、集電装置の変更(PS22B →PS22D)をおこなったほか、保守の簡素化のため、灯火類を一体化した角型形状・カバー付のものに変更した。外部塗色は1次形の塗り分けに加え、車体裾部に 100mm幅の青色の帯が追加された。
【JR貨物】
分割民営化時には1 - 39・901号機の40両を承継し、その後100番台33両を製作して73両体制となった。
国鉄から承継した車両はすべて吹田機関区に配置され、100番台は吹田機関区・岡山機関区・広島機関区に分散配置されていたが、1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正で73両すべてが吹田機関区配置となった。また1999年(平成11年)から2002年(平成14年)にかけてJR西日本から41・44・52・54号機の4両を譲り受けている。
コキ100形貨車登場後は、100番台と同様にスカートの1位と4位側へのMRPの増設が、後にJR西日本から移籍した車両を含めて全機に施工された。
基本番台機に対しては乗務員室に冷風装置の取付を実施している。1988年(昭和63年)に試験的に取付を実施し、1991年(平成3年)から本格対応として電源容量の大きい21号機以降について取付を実施し]ている。
また、1988年には18号機が瀬戸大橋の荷重試験列車の一部として使用された。
分割民営化後の1987年8月に、20号機が試験塗装としてクリーム色ベースに青のライン、車体側面中央に大きなJRマークという塗り分けで登場した。同車は後に更新工事によって、旧更新色、新更新色と塗装が変更され、三度にわたって外観が変化したが、2010年3月16日付で除籍され、広島車両所で解体された。
1993年からは基本番台の延命・更新工事が行われている。
東海道・山陽本線を中心に運用されるが、1998年10月には東北本線黒磯駅までの運用が追加された。2000年代に入ってからはEF65形から本形式に運用が置き換えられた線区・列車もあるが、基本番台は製作後30年以上が経過し老朽化や状態不良・EF210形による置き換えの進行もあって、2001年(平成13年)以降試作機の901号機および更新車を含む基本番台に廃車が発生している。1次車は既に全車が運用を離脱し、JR西日本から移籍した車両にも廃車が発生している。
2012年2月1日時点では吹田機関区に基本番台12両(21・24・26・27・29・30・32・33・35・36・52・54号機)、100番台33両の合計45両が配置され、2012年3月のダイヤ改正時点では東京貨物ターミナル駅 - 幡生駅間のほか、高崎線高崎操車場・東北本線黒磯駅まで運用される。基本番台に関しては、休車措置などにより2012年5月時点での実際の運用台数は4両(21・33・35・36号機)と激減している。
【保存車両】
EF66 1
・広島県広島市東区 広島車両所
EF66 11
・埼玉県さいたま市大宮区 鉄道博物館
EF66 45・49
・京都府京都市右京区 トロッコ嵯峨駅「ジオラマ・京都・JAPAN」
EF66 49
・京都府木津川市 「バン オ セーグル」
(Wikipediaより) |