異なる方式で電化が進捗した日本海縦貫線において、50Hzおよび60Hzの交流電化区間と
直流電化区間を直通して走行できる三電源方式の電気機関車として開発された。
本線用の交直両用電気機関車としては、1962年(昭和37年)から常磐線でEF80形が使用されていた。
同形式は重量軽減のため1台車1電動機方式などの特殊な設計方針が採られ、長距離・
広範囲に運用する標準機とするには保守や性能の面で課題が少なくないものであった。
1960年代後半には既に直流機・交流機とも標準化が達成された。
これらの設計や運用の経験を基に、
当時の直流標準電気機関車であるEF65形を基本とした、広汎に使用できる標準形式の交直流機関車として本形式の開発が進められ、
1968年に量産先行機が日立製作所で完成した。これがEF81形である。
本形式は1979年(昭和54年)までに156両が日立製作所、三菱電機三菱重工業で製作され、当初想定の日本海縦貫線や常磐線をはじめ、一部仕様を変更した車両が関門トンネル区間の特殊用途にも使用された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では156両全機が東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)の各旅客会社とJR貨物に承継され、JR貨物では増大する輸送量に対応するため1989年から本形式を再製作した。
本形式の総製作数は164両に達し、汎用性の高さと後継機開発の遅延もあって1990年代まで全機が使用されてきた。
旅客会社では機関車牽引列車が減少し、JR貨物ではEH500形電気機関車やEF510形電気機関車の製作開始に伴い、初期車を中心に淘汰が進行しているが、JR各社で長距離の寝台特急や貨物列車の牽引に重用されている。
【基本番台】
本形式の一般仕様車で、1968年 - 1979年に152両 (1 - 152) が新製された。
1 - 38 号機
1968年 1969年(昭和44年)に製作された。
1号機は1968年製作の量産先行車で、正面下部左側にタイフォンを装備していたことが外観上の大きな特徴であった。
1969年製作の2号機以降が量産機で、1号機の運用結果を基に各部を改良が行われ、抵抗バーニア制御器がCS36からCS36Aに、転換・界磁制御器がCS37からCS37Aに変更された。主整流器はサイリスタインバータの制御回路改善によりRS36からRS36Aに変更された。
主抵抗器は容量増大によりMR102Aに変更され、屋根上の抵抗器カバーの形状が変更されている。空転時の再粘着は量産先行機がノッチ戻を採用していたがトルク変動が大きく、量産機ではノッチ止め方式となった。
正面中位の左右には通風孔を設け、車両番号はステンレスの切抜き文字を
車体に直付けする。
29号機以降はスノープラウの材質が2.3mm鋼板および型鋼の組み合わせから、6mm厚鋼板に変更されている。
39 - 136 号機
1972年(昭和47年) - 1977年(昭和52年)に製作された。
主制御器や主抵抗器・単位スイッチなど内部機器の仕様を改良し、運転台は計器盤などの操作機器や内装に人間工学に基づく改良がなされた。本区分以降、20系客車用のKE59Hジャンパ連結器は廃止されている。
加えて、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置がなされた。外観上は正面の通風孔がなくなり、屋根上の機器カバー形状が変更された。
標識灯は電球交換を車体外側から行う「外ハメ式」に変更し小型化した。車両番号は文字表記を一体化したブロックプレートとされた。
47号機以降は電暖表示灯の電球交換を車体内側から行う方式に改めた。外観上では47 - 126号機が縦長の台形、127 - 136号機が小型の台形の外観になっている。
75号機以降は抵抗バーニア制御器がCS36BからCS36Cに変更され、一部機器の非PCB化が行われた。また空転検出方式の改良が行われ、空転検出用のマグアンプが3個から6個になり、各軸独立した形になった。外観上では、屋根上の抵抗器の脱着変更方式の変更によって、車体高が30mm高くなっている。
135・136号機は、1975年10月に発生したEF62形脱線による事故廃車の補充を目的として製造された。
また、133号機から136号機は、上越線運用対応の為137号機以降に準じた改造を受けている。
※75 - 93号機
日本海縦貫線フレートライナー増発用(7両)、上野 - 秋田間寝台列車増発用(1両)、東北本線フレートライナー増発用及び補機増強用(11両)を名目として、昭和48年度民有で製造された。75 - 78号機は酒田機関区に、79 - 81号機は富山第二機関区に、82 - 93号機は田端機関区に配置された。
抵抗バーニア制御器がCS36BからCS36Cに変更され、一部機器の非PCB化が行われた。また空転検出方式の改良が行われ、空転検出用のマグアンプが3個から6個になり、各軸独立した形になった。外観上では、屋根上の抵抗器の脱着変更方式の変更によって、車体高が30mm高くなっている。
137 - 152 号機
1979年に製作された。
車体構造が変更され、前面窓上には一体型の庇が設けられた。
車両番号板はエッチング仕上げである。主電動機は電機子軸の径を従来の120mmから130mmに太くしての強度を向上したMT52B形に変更され、各機器のメンテナンスフリー化および絶縁対策も強化された。
また、台車は一般圧延鋼板から溶接構造用圧延鋼材へ材質が変更されている。
【東京地区】
1973年(昭和48年) - 中期車13両 (82 - 94) が田端機関区に新製配置され、東北本線の隅田川 - 福島間の貨物列車牽引に充当された。
当時、EF81形13両で東北本線の貨物列車10運用を受け持っており、常磐線・水戸線での定期運用は設定されていなかった。常磐線系統では1962年(昭和37年) - 1967年(昭和42年)に新製配置されたEF80形63両を使用し、本形式は東北本線の一部定期運用に充当されることとなった。
1979年(昭和54年) - 門司機関区の300番台2両 (301・302) ・富山二区の中期車2両 (80・81) の計4両が常磐線内郷機関区に転配され、EF80形に混じって常磐線系統の定期運用に就いた。
1982年(昭和57年) - 酒田区の4両 (75 - 78) ・富山二区の2両 (79・95) ・敦賀二区の2両 (96・97) の計8両が常磐線系統に転用され、同年10月1日までに内郷区に6両 (75 - 79・97)、田端区に2両 (95・96) が転入した。従前より使用してきたEF80形の淘汰が目的で、田端区のEF81形は東北本線の運用をEF65形1000番台・ED75形に振り替えて常磐線系統に専用し、EF80形の淘汰を進めた。
1982年(昭和57年)11月 - 内郷区より田端区へ2両 (301・302) が転属する。
1983年(昭和58年) - 常磐線優等列車である寝台特急「ゆうづる」や夜行急行「十和田」牽引にEF80形と共通で運用を開始した。牽引区間は上野 - 水戸間で、EF80形では省略されていた「ゆうづる」牽引機(上野口)へのヘッドマーク掲示が同時期に復活している。
【所有状況と運用】
現状 2012年4月1日現在JR貨物のみ2012年2月1日現在)
・JR貨物 富山機関区
10・19・22・25 - 28・33・39・115 - 119・121・123 - 126・129・135・142・146・148・404・406・453 - 455・501 - 503号機
門司機関区:301 - 304・401 - 403・405・408・451・452号機
・JR東日本 田端運転所:80・81・82・95・97・98・133号機
長岡車両センター:134・140・141・151号機
青森車両センター:136 - 139号機
・JR西日本 敦賀地域鉄道部:43・44・101・103・104・106 - 108・113・114号機
【廃車】
2011年(平成23年)度
JR東日本 - 58・ 79 ・82・85・86・87・88・92・93・96・99・147・150(13両) (Wikipediaより) |