基本的な構成は、国鉄初の新性能通勤電車で前作に当たる101系を概ね踏襲している。
切妻形車体・3枚窓による運転台のシンプルなデザイン・1300mmの両開き4扉・扉間7人掛け車端部3人掛けのロングシート・コイルばね台車はウイングばね軸箱支持・直巻整流子電動機を用いた抵抗制御・MM'ユニット方式である。
国鉄の汎用的通勤形電車として設計されたため、比較的駅間が短く速度の低い線区を主に使用することを前提として設計されたが、週末などの臨時電車運転を考慮して主電動機の界磁を35%まで弱めて高速特性を近郊形電車の111系並に設定している。
設計当時多くの路線で最高速度が95km/hであったこともあり、よほど特殊な線区以外では高速運転をする機会はなかったが、大量に製造されるうちに、駅間距離が長い路線やブレーキ初速度の高い路線などに投入された結果、高速性能を求められるケースも増え、加速性能では分流抵抗による弱め界磁率の誤差などを修正する小改造を、高速域からの電気ブレーキ性能では過電圧対策などを施して改善した車両も存在した。
なお、最初の投入先が山手線であったことから一部の雑誌執筆者からは駅間距離が短い山手線専用形式と言われたこともあったが、当時の関係者によって完全に否定されている。
最高速度は100km/hとなっているが、MT比1:1では90km/hを超えると加速余力は少なく実用95km/h程度である。
JRグループ発足時に、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、北海道旅客鉄道(JR北海道)と四国旅客鉄道(JR四国)を除く各旅客鉄道会社に引き継がれたが、老朽化による新型車両への取り換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道(JR東海)では2001年、東日本旅客鉄道(JR東日本)では2009年に形式消滅となった。
分割民営化時(1987年)と2013年現在の在籍両数比較
会社 |
JR東日本 |
JR東海 |
JR西日本 |
JR九州 |
総計 |
1987年 |
2,418両 |
70両 |
894両 |
54両 |
3,436両 |
2013年 |
0両 |
0両 |
288両 |
54両 |
342両 |
試運転
1963年(昭和38年)3月25日先行試作車1編成が落成し、9か月にわたる試運転を繰り返した後、12月28日より営業運転に入った。試運転ではいくつかの問題が発生していたものの、早急な新車投入が求められていたことから、最低限の手直しで量産車を発注している。
量産
1964年(昭和39年)以降の国鉄における通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車はもとより日本の鉄道車両としても最大の車両数を誇り、1970 - 1980年代(昭和40 - 50年代)の首都圏や近畿圏など日本の都市圏通勤輸送を支えた。
山手線への投入
1964年(昭和39年)5月より量産車(ウグイス色)が山手線に配置され、1964年度だけで202両が製造された。捻出された101系(カナリア色)は当初の予定どおり総武緩行線に転出し、別途新製された先頭車2両を組み込み10両編成で運用された。
形式
本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハもしくはクモハの103形と102形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は過去からの慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。
・クモハ103形 (Mc)
モハ102形またはクモハ102形とユニットを組む制御電動車で、パンタグラフや主制御器などの主 回路を構成する機器群を中心に搭載する。奇数向き専用。新造は製造初期の1965年 - 1968年 に限られた。本系列は編成の半数以上が電動車でなければならないことから、3両または5両を 組成する場合にはこの形式が必要となる。
・クモハ102形 (Mc')
モハ103形またはクモハ103形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機や空気圧縮機などの 補助的な機器を中心に搭載する。偶数向き専用。国鉄は車種が増えることを避けたために 1970年から製造された1200番台5両以外に新造車はない。しかし、短編成化時の必要性から JR化後に一部のモハ102形から改造されたほか、3000番台の片側先頭車はこの形式となった。
・モハ103形 (M)
クモハ102形またはモハ102形とユニットを組む電動車で、クモハ103形と同様にパンタグラフと主 制御器を搭載する。
・モハ102形 (M')
クモハ103形またはモハ103形とユニットを組む電動車で、クモハ102形と同様に電動発電機と空 気圧縮機を搭載する。
・クハ103形 (Tc)
制御車。75 - 91および線区の事情で方向転換した車両を除く0・900・1000・1500番台は、車番が 奇数の車両は奇数向き、偶数の車両は偶数向きの先頭に連結される。クモハ103形と同時に製 造された500番台は偶数向き専用。
・サハ103形 (T)
運転台のない付随車で量産化開始の1964年から製造された。
103系の場合、通勤形車両として大量に生産されたことから、製造時期や使用目的などにより、様々な設計変更や、後述する番号の重複を避けるため、番台区分が行われた。
そのため、車番によりおよその仕様の判別が可能である。
【0番台】
1964年から1984年まで製造された、103系の基本形式である。非常に長期にわたり大量に製造されたため、途中で様々な改良が加えられている。製造時期ごとに解説する。以下の分類は製造年度ではなく製造年による区分である。
・1964年 - 1967年製造車
クモハ103-1 - 133・モハ103-1 - 159・モハ102-1 - 292・クハ103-1 - 114・501 - 616・サハ103-1 - 225が該当する最初の量産車グループ。山手線向けを皮切に、順次首都圏各線区へ導入された。試作編成に存在しなかったクモハ103形とサハ103形が追加された。山手線に先行投入されていた試作車は、のちにこのグループに合わせた仕様に改造されている。
・1967年 - 1970年製造車
上記に続いて製造された量産車グループで、クモハ103-134 - 155・モハ103-160 - 278・モハ102-293 - 433・クハ103-115 - 177・617 - 638・サハ103-226 - 305が該当する。クモハ103形0番台とクハ103形500番台は、本グループで製造が打切られた。本グループからは高速運転対策として、付随車の台車を踏面ブレーキ装備のTR201形からディスクブレーキ装備のTR212形に変更している。
地下鉄直通用の1000番台・1200番台を除く1970年(昭和45年)までに製造された先頭車(クハ103-1 - 179・500番台・900番台全車・クモハ103-1 - 155)の前照灯は、101系と同じく250Wの白熱灯1灯装備で製造されたが、後年になってシールドビーム2灯に改造された車両が多数である。
・試作冷房車(1970年製造)
1968年(昭和43年)に京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が5000・5100系電車増備車に冷房を装備したのを皮切りに、私鉄において冷房を取付けたロングシート車両が登場したのに呼応し、私鉄とのサービス格差を改善する目的で試作冷房装置を搭載して山手線に10両編成1本が試験投入された。
・1971年 - 1972年製造車
モハ103-282 - 330・モハ102-437 - 486・クハ103-180 - 212・サハ103-308 - 323が該当。発注時点で前述の試作冷房車が試験中であったことから非冷房車として製造されたグループであるが、これまでの運用で表面化した問題への対策が講じられ、随所に改良が行われたことから、俗に「1次改良車」とも呼ばれる。
・1973年製造車
前述の試作冷房車の試験結果を踏まえ、1次改良車を基本に当初から冷房装置を標準搭載して製造されたグループで、モハ103-331 - 413・モハ102-487 - 569・クハ103-213 - 268・サハ103-324 - 359が該当する。京浜東北線に配置されたモハ103-373 - 382・モハ102-529 - 538は、既存の非冷房車編成に組み込まれることから例外的に非冷房車として製造された(後にAU75系冷房装置にて冷房改造)。
・1974年 - 1981年製造車
モハ103-414 - 786・モハ102-570 - 899・2001 - 2043・クハ103-269 - 499・701 - 844・846・848・850・サハ103-360 - 503が該当する。
・1983年 - 1984年製造車
モハ103-787 - 793・モハ102-2044 - 2050の計14両が該当する。
赤羽線の10連化および山手線輸送改善の件名で新製され、それぞれ池袋電車区に配属された。
【クハ103形500番台】
1965年(昭和40年)に京浜東北線への本系列投入が開始されたが、当初は基本編成と付属編成の分離運転が考慮されていたことと、下十条電車区と蒲田電車区では検修線が10両分無かったことから3両と7両に編成を分割して使うこととなった。投入当時は京浜東北線の10両設備が未完成であったことから暫定的に2両+6両の8両編成で使用された。2両と6両に分ける必要があるため奇数向きの先頭車としてクモハ103形が設計され、反対側はクハ103形0番台が連結された。しかし、クモハ103と対になるクハ103形は向きが偶数向きに固定されることから、両渡り式のクハ103形0番台では、ジャンパ栓納めや床下の配線が一部省略できること、両栓のジャンパ連結器を片栓の物にできることでコストダウンが図れることから、1966年(昭和41年)年4月以降の10両編成対応の製造分から、偶数向きの片渡り式にしたクハ103形500番台に設計変更された。クハ103形0番台との外見上の違いは、正面右下にあったジャンパ連結器納めがない点である。
■地下鉄対応車両
地下鉄乗入用として、以下の車両が0番台と並行して製造された。乗入先各線はすべて保安設備が異なるため、投入路線ごとに仕様を変え、新たな番台が起こされているのが特徴である。
【1000番台】
常磐緩行線・営団地下鉄(現東京地下鉄 = メトロ)千代田線直通運転用として、1970年(昭和45年)から10両編成16本160両が製造され、松戸電車区(現在の松戸車両センター)に配置された。落成から千代田線乗入開始までの一時期は地上区間で運用された。
【1200番台】
中央・総武緩行線・営団地下鉄東西線直通運転用のグループで、301系の増備車にあたる。国鉄の財政難により、地下鉄乗り入れ車の製造コスト低減のために製造された本系列の区分番台で、301系と同じ7両 (6M1T) 編成を基本としたため、地上形にはないクモハ102形 (Mc') が開発・製造された。1970年に1本(7両)、1972年(昭和47年)・1978年(昭和53年)にそれぞれ2本(28両)の計5本(35両)が製造された。
【1500番台】
唐津線・筑肥線・福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)直通運転用として、1982年に6両編成 (4M2T) 9本54両が製造された。編成番号は3両ずつに分かれており、小倉工場に回送する際も3両ずつに分割される。 |