鉄道模型 国鉄 通勤形直流電車 201系

国鉄 201系 通勤形直流電車

1979年(昭和54年)に試作車が登場し、後に量産された日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車である。

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 ■ 国鉄 201系 通勤形直流電車
概要

国鉄として初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキを装備した「省エネ電車」として設計・製造された。
主回路以外についても新機軸が多数導入され、試作車完成の段階では次世代標準型通勤形電車として鉄道業界などから大きな期待が寄せられ、1981年(昭和56年)から量産が開始された。
だが、当時の国鉄の財政事情では電機子チョッパ制御器の製造コストの高さがネックとなり、最終的に中央線快速・中央・総武緩行線・京阪神緩行線の3線区のみに合計1,018両の新製投入に留まった。このため、その後の標準型通勤形電車は旧来の抵抗制御をベースとした界磁添加励磁制御方式を採用し、新開発のDT50系ボルスタレス台車と軽量ステンレス車体によって大幅な軽量化とコストダウンを実現した205系に移行した。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化(JR発足)後は、東日本旅客鉄道(JR東日本)に794両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)には224両が継承された。
JR東日本では2005年から後継系列への取り換えによる老朽廃車が開始され、2011年6月に営業運行をすべて終了した。
JR西日本では内外装のリフレッシュ工事を受けながら、引き続き使われている。
なお、両社間の201系の譲渡は行われていない。 また、本系列には派生系列として東京メトロ千代田線直通用の地下鉄乗り入れ仕様でアルミ合金製車体を備える203系が存在する。

形式

本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハもしくはクモハの201形と200形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は過去からの慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。

・クモハ200形 (M'c)
 モハ201形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機や空気圧縮機などの補助的な機器を中 心に搭載する。偶数向き専用。試作車のみ存在する。
・モハ201形 (M)
 クモハ200形またはモハ200形とユニットを組む電動車で、パンタグラフや主制御器などの主回 路を構成する機器群を中心に搭載する。
・モハ200形 (M')
 モハ201形とユニットを組む電動車で、クモハ200形と同様に電動発電機と空気圧縮機を搭載す る。
・クハ201形 (Tc)
 奇数向き専用の制御車。
・クハ200形 (T'c)
 偶数向き専用の制御車で、試作車には存在しない。
・サハ201形 (T)
 運転台のない付随車で、試作車落成時には存在しなかった。
各社の状況

会社間で移動した車両は皆無である。

JR東日本

10両・6両・4両の3種類の編成があり、6両編成と4両編成を併合して10両編成として運用することで、需要に応じた多様な運用形態に対応可能としている。

・新製配置(国鉄時代)
昭和52年度第2次債務で試作車10両(5両編成2本)が落成し、三鷹電車区(現・三鷹車両センター)に配置された。

・量産車
1981年7月からは量産車の落成が始まり、昭和55年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和55年度第2次債務で50両(4両編成3本・6両編成3本・10両編成2本)、昭和55年度第3次債務で100両(10両編成10本)の計200両が落成し、三鷹電車区・豊田電車区(現・豊田車両センター)に配置された。
次いで昭和56年度第1次債務で100両(4両編成5本・6両編成5本・10両編成5本)、昭和56年度第2次債務で20両(10両編成2本)、昭和56年度第3次債務156両(10両編成15本)で、昭和57年度本予算で40両(4両編成4本・6両編成4本)の計316両が落成した。
大半は豊田電車区に配置されたが、一部が三鷹電車区と中野電車区に配置された。
加えて、昭和57年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和57年度第3次債務で30両(4両編成3本・6両編成3本)、昭和57年度第4次債務で90両(4両編成9本・6両編成9本)、昭和58年度本予算で10両(4両編成1本・6両編成1本)の計180両が落成した。
武蔵小金井電車区と中野電車区に配置された。
さらに、昭和58年度第1次債務で34両(4両編成4本・6両編成3本)、昭和58年度第4次債務で60両(4両編成6本・6両編成6本)の計94両が落成した。
第1次債務分が武蔵小金井電車区に、第4次債務分が中野電車区に配置された。
昭和58年度第2次債務分からいわゆる「軽装車」となっている。
この増備分をもって201系の製造は終了した。

【中央線関係】(豊田車両センター)

車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。
塗色や所属区は同じであるものの、主に中央線および青梅・五日市・八高線のうち中央線直通運用と青梅・五日市線限定運用限定とで編成は分けられていた。
中央線運用車両は、2008年3月のダイヤ改正まで富士急行大月線・河口湖線にも乗り入れていた。
2010年までにすべての編成が営業運転を終了した。

・中央線快速用
快速系列車と早朝夜間の東京発着各駅停車で運用されていた。
10両貫通編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成(H編成)の2種類の編成があり、青梅線・五日市線・八高線と富士急行線への乗り入れの関係で運用が分かれていた。
2008年1月に前者が、2010年10月に後者が営業運転を終了した。
中央本線高尾以西に存在する狭小限界トンネルに対応すべくパンタグラフに特徴を持つ。
・H編成は国鉄末期よりPS21形からPS24形に交換。
・モハ201-161?163は試作型のPS918形を装備。
・モハ201-24、87、90、179、185、206は霜取り用パンタグラフを増設。
・霜取り用パンタグラフはPS24が基本だが、モハ201-90のみPS35Cであった。
・T編成はJR化後にシングルアーム式のPS35C形に交換。

・青梅・五日市線内運用編成
かつて中央・総武緩行線で運用されていた車両でE231系の投入に伴い同線運用から撤退となり、青梅線・五日市線用103系の置き換えに転用された。
転属の際に前述の軽装車を含めて塗色をカナリアイエロー(黄5号)からオレンジバーミリオンに変更した。また付属編成1本は、後述する「四季彩」に改造された。
1986年3月3日のダイヤ改正からの一時期は中央線快速から転用された6両編成が青梅・五日市線と武蔵野線線内運用にも投入されたが、武蔵野線の全列車8両編成化と中央・総武緩行線への転用により撤退。
搭載パンタグラフが小断面トンネル通過に対応していないため高尾以西は走行不可。
青梅線青梅以西は地上設備(ホーム有効長)の制約から乗り入れ可能車は4両付属編成に限られるため、転入時に編成組換を行い中央線快速用のH編成とは6両編成と4両編成の組成順序を逆にした。
編成略号は「青○○編成」と呼称される。
編成札は数字のみの表記であり、「60」から「69」が青色に白のゴナに近い字体(武蔵野線でも同様)、「70」から「72」が水色に赤の丸みを帯びた字体(H・T編成のものに近い)である(いずれも立川寄り6両固定編成において)。

・展望型電車「四季彩」
JR東日本では、青梅線沿線のイメージアップを目的に豊田電車区で訓練車として使用されていた4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)を展望型電車に改造し、2001年8月4日より運転を開始した。
その後愛称の公募が行われ、同年11月23日に「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。
愛称の通り1両ずつ季節をテーマとしたデザインを採用。
春:桜、夏:ひまわり(2004年7月よりレンゲショウマ)、秋:紅葉、冬:雪。
座席配置ならびに側面窓の一部も2段窓から固定式の1枚窓に変更。
奥多摩寄りのクハ200-134はすべての座席を川側に向け、その他の3両は川側にクロスシートを設置。登場から数か月間だけ五日市線でも運用されたが、以降は土曜・休日の青梅 - 奥多摩間の運用が中心で、送り込みを兼ねた立川発着の運用が1往復あった。臨時列車では、大月駅開業100周年記念記念列車や「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎まで、2006年からは「四季彩河口湖号」として富士急行線河口湖まで、さらに2007年のゴールデンウィークにはこれまで使用されていた小山車両センター所属115系の廃車により快速「むさしの奥多摩」にも投入され、武蔵野線を経由して大宮駅まで乗り入れた実績を持つ。平日は運用がなく拝島運転区で本来の訓練車として使用されたほか、他線へ貸し出されることもあり、2006年度には豊田車両センター所属車の廃車時に回送ルートとなる篠ノ井線内の乗務員訓練用に松本車両センターへ貸出された。八高線の予備車も兼ねていたが、こちらでは実際に運用されたことはほとんどない。
【京葉線関係】(京葉車両センター)

・京葉線・外房線・東金線
車体塗装色はスカイブルー(青22号)。
京葉車両センターに配置された編成は、青梅・五日市線内運用編成と同様にかつて中央・総武緩行線で使用されていた車両で、205系とともに京葉線の103系を置き換えた。
2007年2月 - 3月には中央線快速で使用されていた10両貫通編成2編成が転入した。これは、武蔵野線直通列車の増発ならびに埼京線用205系の踏切事故による不足補充分として京葉線205系2編成が転用されるためである。
編成番号の変更。
・トタT32編成(クハ201-58以下10両) → K70編成
・トタT130編成(クハ201-56以下10両) → K74編成
この2編成は209系500番台に置き換えられ、2008年12月に長野総合車両センターへ廃車回送された。

【置き換え】

・中央線快速・青梅線・五日市線
E233系投入に伴い編成番号の改称が実施された。
2006年11月から2007年3月18日までにT編成が改称された。
ほとんどの編成が元の番号+100とされた(例・T1→T101)。
2007年3月18日のダイヤ改正から分割を伴う運用に本系列とE233系が共通に充当されるため、本系列のH編成7本を6+4から4+6に組み替えた。これらの編成は、同月下旬までにH1編成を除いて編成番号が振り直された。
組替対象とならなかったH編成は同月下旬までにT編成に編入された。
置き換えとの関連は不明だが、2005年以降に豊田電車区の6+4編成(H編成)の4・5号車の列車種別表示枠が撤去され、オリジナルに近い前面に戻された編成があった。

三鷹 - 立川間の連続立体化工事中は、武蔵小金井折り返し運用が構内配線の都合で一旦留置線に入線する必要からすぐに折り返せないため予備車の不足が懸案事項となった。
そのため、E233系の投入完了後もH4(クハ201-107以下10両)・H7(クハ201-128以下10両)の2編成が残存した。 残存編成も工事が終了する2009年秋に同線での営業運転を終了する予定であると東京新聞で報道されていたが、2010年にJR東日本八王子支社はH4編成は同年6月20日の、H7編成は10月17日のラストランをもって旅客営業運転を終了すると発表し、2010年10月17日、長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた、中央本線豊田発篠ノ井線松本行きのさよなら運転で本系列の運用を終了した。
青梅線・五日市線用の置き換えは2007年11月から2008年3月までに順次行われたが、4両編成の置き換えは2008年2月19日に一斉に行われた。
長野総合車両センターへの廃車回送は基本的に編成単位で自力によるものである。
中央本線の高尾以西の小断面トンネル通過未対策車は、パンタグラフを対応するシングルアーム式に交換した上での回送となる。

・中央・総武緩行線
国鉄時代当時の中野電車区に配置され、1982年(昭和57年)8月14日から営業運転を開始した。車体色は中央線快速向けに続く色としてカナリアイエロー(黄色5号)となった。
10両編成として使用されていたが、検修設備の関係から貫通編成にはできず6両+4両の分割編成のみが配置されていた。
JR東日本化後の2000年(平成12年)以降に三鷹電車区へのE231系0番台の投入に伴い、置き換えが進められ2001年(平成13年)11月をもって中央・総武緩行線からは引退した(約19年間使用)。なお、最終的に残っていた10両編成(6+4両編成)19本(190両)は120両が青梅・五日市線用として転用され、残る70両は京葉線に転用された。

・京葉線・外房線・東金線
先述の900番台について、老朽化が進んでいるなどを理由として、2005年10月に山手線からの205系転入車で置き換えられた。
このうちクハ201-902・モハ201-903は2005年10月14日に大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用され、同月中に解体された。
900番台と混結で2編成(72・73編成)を組んでいた残りの量産車は、組み合わせて1編成にされて72編成(クハ201-104以下10両)となり、73編成は欠番となった。
京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入により捻出された209系500番台の転入に伴い、2008年12月には74編成(元・T130編成)・70編成(元・T32編成)が、2009年1月に71編成(クハ201-7以下10両)が、2009年2月に72編成(クハ201-36以下10両)が長野総合車両センターへ廃車回送された。
なお、廃車に先立つ2008年6月に、K1+51編成のクハ201-37・クハ200-36と72編成のクハ201-103・クハ200-104の入替えが行わており、旧72編成が新K1+51編成(クハ201-104以下10両)に、旧K1+51編成が新72編成となった。この編成替えで比較的古い車両が中心となった新72編成が廃車回送されている。

JR東日本の201系は、廃車まで新製時の編成を崩さなかったものが多く、この様な組換えは比較的珍しい。 これによりJR東日本の所属車両からサハ201形が消滅した。
2011年からはE233系5000番台導入により、京葉線に残っていた4編成の廃車がはじまり、K3+53編成(クハ201-111以下10両)が4月5日、K2+52編成(クハ201-109以下10両)が4月26日、K1+51編成(クハ201-104以下10両)が5月17日に長野総合車両センターへそれぞれ廃車回送され、同年6月時点での残存車は6両編成1本(54編成、クハ201-114以下6両)と4両編成1本(K4、クハ201-113以下4両)で、京葉線関係では6両編成と4両編成が連結されて10両編成で運転されていた。
同年6月10日から同月20日までヘッドマークを掲出して運行され、同年6月20日の81運用で定期営業運転を終了、同23日に長野総合車両センターへ廃車を前提として回送された。
 (Wikipediaより抜粋)  

 ■ 201系 通勤形直流電車
「リストラおやじの車両センター」に所属している201系通勤形電車
 ■201系 1編成 10両
KATO 10-370/374 10両 中央線
 ※なお分類・名称は個人的な好みで分けたものです。正式な分類とは異なります。
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