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■ 国鉄 115系 近郊形直流電車 |
開発の経緯
国鉄の新性能電車は、1957年に製造を開始した101系通勤形電車を祖とし、その後は151系特急形電車・153系急行形電車とともに増備が進められた。また、1961年6月には山陽本線の全線直流電化が完成。鹿児島本線と常磐線の交流電化により3扉セミクロスの401・421系交直流両用電車が登場した。しかし、東海道線東京口などでは80系電車や客車など2扉車が使用されており、増加する通勤客に対応できないことから、401・421系電車と同等の車体構造を持つ111系が製造された。
さらに同時期には山間部路線でも電化が始まり中長距離列車が運行されるようになったが、111系が搭載する出力100 kW 級のMT46系主電動機では出力不足が如実であり、編成の組成において電動車を多くした高MT比とするか、補助機関車の連結が要求された。しかし電動車を増やす場合、製造・運転・保守ともに高コストとなり不経済であることから、111系をベースに主電動機の出力増強を目的に開発されたのが113系と本系列である。
300番台
113系1000番台同様のモデルチェンジが実施された区分番台。1973年(昭和48年)から製造開始され小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置された。
中央東線狭小断面トンネル対策として折畳み高さが低いPS23形パンタグラフが開発されたためモハ114形は低屋根構造が不要となったため800番台に相当する番台区分は存在しない。
PS23形搭載車は車体側面の車号表記に◇マークを付記して識別し車両番号での区分はされない。
本区分番台は1977年に製造を終了。
それ以降は後述の1000番台へ移行した。
クモハ115-301 - 326
モハ115-301 - 418
モハ114-301 - 444
クハ115-301 - 443・444 - 496(偶数のみ)
サハ115-301 - 330
1000番台
上越線・信越本線などの寒冷地ならびに冬期降雪の多い地域での運用を考慮した耐寒耐雪強化構造が施工されたた区分で1977年から1982年(昭和57年)まで製造された。
300番台をベースとするが、以下の設計変更・改良が行われた。
4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系電車と設計思想を統一し、座席幅930から1,040mm、間隔(シートピッチ)1,420から1,490mmとする従来の急行形車両並に拡大を行った「シートピッチ改善車」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した。
普通列車の冷房化が推進されていた時期にも関わらず長野・新潟地区向け車は、夏期でも酷暑となりにくい気候であること、および当時の国鉄が財政難で経費節減の観点から、冷房装置は搭載しないものの将来の搭載改造の際には工事簡略化ならびに工期短縮化を考慮した「冷房準備工事車」で落成した。
クモハ115形+モハ114形ユニットは松本運転所(現・松本車両センター)・同北松本支所・長岡運転所(現・長岡車両センター)・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に限定新製配置である。
クハ115形偶数向(クハ115-1001- ・1201- )奇数向(クハ115-1101- )に番号区分され、トイレは偶数向き1001- にのみ設置とし、採光窓も小型化された。
後に奇数向き車も1142- ではトイレ設置に設計変更された。
サハ115形はトイレを廃止。
運用の変遷
【国鉄時代】
中央東線
1966年の中央東線松本電化の際に三鷹電車区に既存の客車列車や70系置換え用として投入された。1968年からはローカル列車のみならず急行「かいじ」・「かわぐち」にも投入され、富士急行線河口湖まで乗り入れする運用にも対応した。
「かいじ」運用では1970年から約2年間サロ165形を連結していた実績がある。これは新前橋電車区所属のサロ165-14・15のジャンパ連結器を変更して三鷹電車区に貸し出したもので、うち1両は横須賀色に塗色変更した上で運用された。なお、改造に伴う改番はない。
1975年3月のダイヤ改正では300番台車を新製投入し、一部残存していた客車・70系電車による普通列車を置換えた。なお捻出された70系電車は呉線に転用された。
1984年2月・1985年3月のダイヤ改正でサハ115形基本番台が制御車化改造用種車となり各地に転出し、1986年11月1日のダイヤ改正では豊田電車区への移管のため三鷹の配置がなくなった。
長野地区
1977年に80系電車の置換えを目的に松本運転所に新製配置された。その後は大糸線の旧形国電も置換えられることになり、該当車両は1981年より松本運転所北松本支所に配置された。1983年からは短編成化のため電動車に運転台を取り付ける改造も行われた。その際反対向きの制御車が不足するため他の車両区の付随車に運転台を設置した。さらに2両編成での運用も行うためモハ114を改造し、クモハ114も登場した。
北松本支所は1985年3月に松本運転所に統合された、
1986年11月1日に一部運用と車両は長野運転所(現・長野総合車両センター)に移管・転属となったが、中央西線が分割民営化時にJR東海管轄となるため神領電車区にも転出した車両も存在する。
なお、国鉄時代の長野地区配置車両はすべて1000番台新造車で他地区からの転入車は皆無である。
【JR東日本】
分割民営化後も引続き運用されたが、E231系電車への置き換えにより2000年から廃車が開始され、高崎線では2001年11月30日に、東北本線上野口では2004年10月のダイヤ改正で本系列の運用は終了した。他地区では引き続き運用されてはいるが、状態の良い300番台後期車や1000番台で初期車を置き換えるなどの転配が行われた。また伊豆急行200系電車第3編成以降としなの鉄道115系は、ともにJR東日本が保有していた本系列を譲受・改装したものである。
現在の配置車両基地
【豊田車両センター(八トタ)】
所属車両は70系電車時代から継続し、本系列唯一の横須賀線色を採用する。
運用面では、1993年12月のダイヤ改正以前は新宿乗り入れ、2000年12月のダイヤ改正以前は中央本線・篠ノ井線経由で長野までの広域運用が存在したが、それ以降は甲府以西の運用が長野支社に移管されたため所属車が大量に松本運転所へ転出した経緯がある。
2013年現在は営業編成は300番台の3両編成×12本・6両編成×1本・訓練車編成(4両)×1本の総数46両が配置される。
特徴としては三鷹区時代から先頭車の貫通幌が長野方クハ115形に装着されていたが、近年では長野総合車両センター所属車に合わせて新宿方クモハ115形装着に変更されているほか、モハ114形では1998年から集電用パンタグラフがシングルアーム式のPS35A・B形に交換されている。
また保安装置はATS-P・SNを搭載し、デジタル無線および運転台への簡易モニター設置が施工済である。このため、運転台後ろロングシート上の荷棚部には機器箱も設置される。
さらに多くの編成が耐雪ブレーキを装備しており、列車番号表示機はLED式を助士席側に設置する。車内の座席モケットは薄茶色を基調としたものである。
・M1 - 12編成
3両編成または6両編成で中央本線立川 - 小淵沢(八王子支社管内)ならびに富士急行線河口湖までの運用に投入される。
塩山 - 甲府 - 韮崎の区間列車は3両編成を中心にした運用となる。これは、1980年3月以前は身延線用62系電車の間合いで運用されていたものが、当時の三鷹電車区へ移管されたことに由来する。
M9編成が車両更新工事を施工されたほか、M1編成などがリニューアル工事を施工済である。
臨時運用では以下の列車に投入された実績がある。
「快速スイッチバック街道」(2007年秋 長野 - 聖高原)
「惜別スイッチバック街道羽尾号」(2008年7月 長野 - 聖高原):長野総合車両センター所属のクモユニ143-1・3と連結した5両編成で運転
「115系大糸リレー」(2008年9月 松本 - 南小谷)
「ひまわり号」(2010年10月・11月 立川 - 千葉・四街道 - 立川):M4編成を充当
「さだまさし3776号」(2010年7月運転):M7編成を充当
・M40編成
2000年に松本へ転出したグループ内で唯一廃車されず、2002年に当センターへ再転入した6両貫通編成である。モハ114-374には霜取用にPS23形パンタグラフを搭載、サハ115-319は現存する唯一の300番台サハなど数々の特徴を持ち合わせている。
他の編成と異なり本来の中央本線運用には投入されず、武蔵野線快速「むさしの」(2010年12月3日で終了)・「ホリデー快速鎌倉」(2013年9月23日で終了)の定期運用をほぼ専従としたほか、長野総合車両センター所属車C編成定期運用の代走・波動輸送・乗務員訓練などに投入されたが、2014年1月27日に中間車3両(モハ114-374+モハ115-348+サハ115-319)を後述のW2編成に組み込み長野総合車両センターへの回送が実施された。
主な波動輸送運用
「ひまわり号」、諏訪湖祭湖上花火大会臨時列車、
115系の日「武蔵小金井駅開業85周年号」(2011年1月15日)、「こんにちは富士山駅号」(2011年7月2日、
快速「富士河口湖号」(2011年8月6日・20日・27日)
、石和温泉行「温泉快速」(2011年9月24日)、
「旅のプレゼント三多摩号」(2011年10月22日)、急行「なつかしの115系かいじ号」(2012年10月20日・21日)、快速「むさしの奥多摩号」(2012年11月10日・17日・23日・24日、2013年4月27日?29日・5月3日?6日)、
「富士山マラソン」に伴う臨時快速列車(2012年11月25日)、快速「おさんぽ川越号」(2013年1月26日・2月9日)、団体列車(2013年5月19日):八高線・五日市線に入線。
快速「白い砂号」(2013年7月6日)・「青い海号」(2013年7月7日)
・W2編成
訓練車編成でモヤ115形が組み込まれた4両編成である。
前照灯は白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用したシールドビーム化改造が施工済である。
【長野総合車両センター(長ナノ)】
国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で松本運転所から信越本線の運用を移管し配置車両基地となった。2014年4月1日現在では、3両のN編成×27本(81両)と6両貫通のC編成×14本(84両)および訓練車訓練車編成(3両)の計168両が配置される。なおN編成とC編成が混用されることはない。
車両面の特徴としてパンタグラフをシングルアーム式のPS35形への交換とATS-Psを搭載。また約半数の車両にはリニューアル工事が施工されたほか、ドア横座席端に風除け用透明仕切り板を設置する工事も実施された。
JR化後に塗装を白を基調に緑のラインを組み合わせた旧長野色に変更したが、1998年の長野オリンピックにあわせて新長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン)への再変更を実施。2013年現在も引続き採用される。
ただし例外として1987年に当時のN12編成が、コカ・コーラ広告電車として運用され、以下の仕様変更が実施された。
車体をコカ・コーラのイメージカラーである赤一色に変更
ドア間窓下にロゴを貼付け車両番号表記は中央ドア下へ移設
モハ114形にコカ・コーラ社製品の自動販売機を設置
1993年の契約終了後にすべて復元。
運用面では、1997年の長野新幹線開通以前は碓氷峠を越えて高崎までの運用が存在したほか、以後は数度にわたり松本車両センターからの移管が実施された。
また長野オリンピックの際には小山電車区から7両編成1本からサハを抜いた6両を長野 - 直江津で、新前橋電車区から4両編成1本を小諸 - 直江津で限定運用する借り受けを行った。4両編成は小諸での夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示としサボによる運用となった。
2007年の松本車両センターから中央東線運用移管ならびにC編成転入実施後は大きな変化はなかったが、2013年3月16日ダイヤ改正で2両編成のN51 -54・56 - 58編成をしなの鉄道での運用に転用、同年6月1日付でしなの鉄道への譲渡を実施。また首都圏から211系の転入や2014年3月15日ダイヤ改正でN編成のJR東海飯田線辰野 - 飯田・中央本線塩尻 - 中津川への乗入れ運用が終了するなど状況に変化が現れている。
・N1 - 14・16・21 - 26・28 - 33編成
同センターの最大勢力ともいえる3両編成で中央本線甲府 - 松本 - 塩尻(辰野支線も含む)・篠ノ井線・信越本線篠ノ井 - 直江津 - 柿崎・大糸線松本 - 信濃大町・しなの鉄道篠ノ井 - 小諸で広域運用される。
N1 - 14・16編成までが緑色、N21 - 33編成が桃色の編成番号札を掲出する。
緑色札掲出編成はしなの鉄道線ならびにJR東海乗入れ対策施工車を示し、JR東海ATS-STに対応する速度照査機能付加のATS-SNと対応方向幕を装備搭載する。
N29編成(クモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018)は1987年3月にトイレ対向部を除いて全てロングシート化されたが、2002年12月にリニューアル工事が施工されセミクロスシートに戻された。天井につり革増設時の支柱ネジ穴痕跡が残存する。
N編成は以下の臨時運用にも使用された。
高遠さくらまつり号(N24編成):2008年・2009年4月
スワいち号:2008年2月23日
木曽漆器まつり号:2008年6月6日 - 8日
ほろよい上諏訪街道号
・C1 - 14編成
2007年3月18日にそれまで松本車両センターが担当していた中央本線・篠ノ井線運用を当センターへ移管・転入した6両編成x14本である。
定期運用は13編成(予備1編成)が立川 - 松本ローカル列車専従でに投入される。その他は出入庫を兼ねた松本 - 長野1往復・篠ノ井線松本→明科区間列車のみのため松本・小淵沢・甲府・大月・高尾・豊田で夜間滞泊が続くのが特徴であるが、以下の代走や臨時投入の実績がある。
大糸線代走運用
豊田車両センターM40編成検査・故障時の快速「むさしの」代走運用。
ひまわり号(C1・C3・C13編成)
首都圏の列車無線デジタル化に伴う新型無線機搭載工事が全編成に施工済だが、本グループでは編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでいる特徴がある。
1000番台車中心であるがC5・6・9編成全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組が300番台車。
1000番台車は以前松本・北松本・長野・新前橋・小山・三鷹・岡山へのいずれかに配置経歴があるが新潟地区に配置された経歴を持つ車両はない。
C5 - 11編成はリニューアル工事が施工済。
C9・10編成はTcMM'TMM'Tc'の7両が同一ロットで製造され。松本転属時にサハ115形のみ抜き取られたのみで組成変更がない。
C1・2編成はTcMM'MM'Tc'6両が同一ロットで製造。小山区時代には既存のサハ115形が組み込まれていた編成で組成変更がない。
C8編成立川方先頭車クハ115-1512は唯一の形式間改造車で種車のサハ115-1027時代の新製配置は三鷹区であったため横須賀色→湘南色→2代目長野色への塗装変更経歴を持つ。また長野方3両はAU720形冷房装置を搭載していたが、2013年現在ではAU75型に再換装された。
C12編成のクハ115-1065は長野所属車で唯一転落防止幌を新前橋区所属時代に設置された。転入時は他にも設置車両が存在したが撤去された。
前面種別表示幕の『普通』表示は白地の黒文字と青地に白文字の2種類が混在する。
一部車両を除いて列車番号表示器のLED化を施工。
C13編成は立川方3両の客用扉窓が他編成と異なる。
C1編成は2014年3月25日に信州色から横須賀色へ塗装変更され翌26日から運用復帰。
しなの鉄道
しなの鉄道所属車は、全車JR東日本から車両番号を変更せずに譲渡された車両である。グループ的には1997年(平成9年)10月1日長野新幹線開業による信越本線軽井沢 - 篠ノ井間移管により169系電車とともに譲渡された3両編成×11本計33両と、2013年3月16日ダイヤ改正で運用終了となった169系電車の代替で譲渡された元長野総合車両センター所属2両編成×7本計14両の2グループに分かれる。
・S1 - S4・S6 - S11編成
1997年に譲渡されたグループであるが、S5編成は2013年7月に長野総合車両センターに回送後、翌8月に廃車されたために現在は3両編成×10本計30両が所属する。運用面では諏訪湖花火大会の際には長野総合車両センターのしなの鉄道乗入れ運用の一部(列車番号3600番台)を代走することもある。
元松本運転所所属の1000番台で組成された編成であるが、S8・9編成のクモハ115形は先頭化改造車の1500番台である。
・S21 - S27編成
元長野総合車両センター所属の2両編成(N51 - 54・56 - 58編成)7本計14両で構成されるグループ。
2013年3月16日改正より長野総合車両センター所属・長野支社塗装・黄色の編成番号札を装着したままの状態でしなの鉄道での運用を開始し、6月1日付で譲渡された。譲渡後には側面のJRマーク部分と前面貫通扉にしなの鉄道のステッカーを貼付た上で編成番号をS21 - 27に変更した。
S23編成は2013年9月に「AC長野パルセイロ」のラッピングが施工された。
譲渡前の本グループは、中央本線・篠ノ井線富士見 - 岡谷 - 松本 - 長野(辰野支線の運用を含む)・大糸線松本 - 信濃大町間での定期運用のほか、松本車両センター所属の123系検査・故障時の代走に投入された。
また、3両N編成も含めて4・5・6両での運用も設定されたほか、諏訪湖花火臨では2両編成3本のオール電動車6両編成の組成実績がある。 |
(Wikipediaより抜粋) |
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■ 国鉄 115系 近郊形直流電車 |
「リストラおやじの車両センター」に所属している115系近郊形電車 |
■115系 5編成 33両 |
TOMIX |
98942 |
6両 |
300番台 中央線 スカ色豊田M40編成 |
マイクロエース |
A-0626 |
6両 |
300番台 中央線 スカ色豊田M40編成 |
マイクロエース |
A-0627 |
6両 |
300番台 中央線 むさしの号(豊田M40編成) |
KATO |
10-1153 |
6両 |
1000番台 中央線 長野色C3編成 |
TOMIX |
92416 |
3両 |
1000番台 中央線 長野色N編成 |
TOMIX |
92709 |
6両 |
1000番台 中央線 長野色N編成 |
※なお分類・名称は個人的な好みで分けたものです。正式な分類とは異なります。 |
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